生老病死と孤独と生き方。

たしかに、この世は生老病死の流れの中に人は生きている。

夫婦はどちらかが先にこの世を去る、

それは、この世の掟であり、それは当たり前のことではある。

仏教で言う愛別離苦をほぼ全ての人は経験するのがこの世の掟なんだ。

それは苦しみを伴うものだ。

そして孤独がはじまる。

公園に集う老人達…

その老人達は孤独なのか…

きっと孤独に違いない…

私はよく道の駅に行く、バイクでとにかく走りたいからである。

ライダー達が多く集まる、と言うか

立ち寄る。

でも、そのヘルメットを外すと

みんな、ジジイばかりだ。

見るからに孤独なジジイばかりだ…

さらに、周りを見渡せば、老人ばかり。

夫婦者の老人もいる、羨ましいなと

思う。

でも、いづれ待っているのは孤独の世界なんだ。

人生って、結局独り…

この世を去ることには恐怖心はない、

私は誰にも期待しないし依存もしない。

今日一日を生きる時、今この瞬間にしか

生きない、過ぎ去った時間を、思わない、先の時間を気にしない、そして

焦らないし慌てないで丁寧な生き方を

心掛ける。

物事、過ぎたなら、ハイ!忘れましょうと…ありのままを受け入れて、ジタバタしない、どうせなるようにしか

ならないから。

心静かに流れていく心境を目指す。

歳をとっても肉欲はあるんだ。

私はカラオケを趣味といている。

妻が亡くなる前はカラオケなど趣味ではなかった。

ご近所にカラオケ喫茶がある、そこに行くようになった。

ステージがありそこでカラオケする。

よくも皆さん恥ずかくなく歌えるものだ、ほぼ爺さま婆さまで、まるで老人ホームのよう…

そこに通っているうちに分かったことがある、それは人間の欲…

人間の本能である食性眠のうちの性だ。

奥さんがいるのにカラオケ屋のママさんに色目をつかう浮気男や浮気爺さまがいる…

旦那さんがいるのに浮気をしてる婆さまもいる…72才だそうだ、へ〜そうなんだ…でも見た目が若い。

独り者のオヤジさんが独り者のオバサンと出合い…今苦労しているという。なぜか…そのオバサンは仕事をしていないから。そのオヤジさんはそのオバサンのせいで今までの仕事をクビになったようだ、オヤジさんは今アルバイトをしているようだ。お年寄りがカラオケなどしているのは、すでに奥さんに先立たれた人や旦那さんに先立たれた人が多いようだ。

人それぞれいろんな人生があるもんだ。

自問自答

「私は何のために生きているのだろう」

この疑問はいつも私につきまとっている

私の奥さんが生きていた頃は、そりゃ

喧嘩もした、若さゆえの乱れもあった、

現役の時代は仕事に振り回されていたから…と言い訳をする私。

けれど、晩年私は妻が喜んでくれるだろう生き方に、いつかしら気がつけばなっていた。

妻がいないくなった今の私は、自分という存在が無意味としか感じられない。

いったい何なの…

ふっと、周りをみわたせば、意味の無いものなど一つも無いのに…

…そういえば、感謝が大切だと言われている、何に感謝するの?

たしかに、感謝に値するのは、あるにはある…

「ん〜あれと、これと…あれ…か〜」

もっと感謝してみたいな…

シャワーを浴びながら、そんな事を

考えていた。

…このシャワーのお湯…

元は水なんだ…

なんで今私がこれを…シャワーを

使えるのか…

そこから大勢の人々への感謝が

はじまった。

感謝の心は、ありがとうと言いう

言葉にかわった。

水って水道があるから、お湯って

給湯器があるから、それらにたずさわる

会社、そこの従業員、その従業員を支える家族、その家族が働く会社、その会社を支える従業員…などなど

無限に拡がる人々のつながり、

また、そういう人々が今生きているのは

その方々の親、先祖…

ありがとうを探せば、きっと幸せになれると思う。

そうんだ、自分の周りの全てが

ありがとうの元なんだ。

多くの人々の支えがあるんだ。

水ひとつをとってみても、その背景には人々があった、しかも、その人たちが

働くとき、一人一人に苦労や悩み

苦しみがあったはず…

そう思うと、ありがとうございますの

思いがすぐにでてくる。

ありがとうを探すのはこんなに簡単だったんだ、感謝の場面はこんなに多く目の前にあるんだ…

そうか…ひとつの生き方として、ありがとうを確認して感謝しながら生きていく

生き方もある…

そうすれば、私は無意味に生きなくても

いい…

そう思った。