人間の末路

これは、私にとってはかなりの

資料から記憶された内容で正確には説明できないけれど。

戦前日本と言う国は日本神道が主流なのか仏教が主流なのかはさだかではないが、日本の神と言えば

天照大神と天之御中主之神(漢字が違っているかも)

を信仰していた国だった。

戦後アメリカによりその信仰は

中止させられた状態に近いが、

天皇は排除されず神道は残った

かたちで今に至ってはいるようだが、しかし、形だけの中身のない

宗教となってしまった。

もっとも、神道にはこれと言って

正確な教えは無いように見える。

さて、人間は何の為に四苦八苦の

世界を生きねばならないのか。

これは、修行目的でありその

苦しみからは導きの意図がある訳だ。

苦しいからこそ神を思い仏を思う。

しかし、現在のように科学が

発展し生き易い世界となると

救いを求めなくなった。

それが唯物論的考え方を支えているのかも知れない。

昔、いつ死ぬか分からない時代には、人は神仏を求め易かった。

それが浄土宗系、拝めば救われる…

これも一理はある。それに対抗して日蓮も同じような事をした。

その結果、死後、浄土宗系では

拝めば救われるのだからと今でも救いを求め拝んでいるそうだ。

そこはいわゆる地獄ではあるが

わりと浅い地獄だろう。

一方日蓮宗では、日蓮本人の

当時の気性の激しさからか

闘争と破壊の世界にいると言われている、今現在日蓮は生まれ変わっているが弟子達は闘争と破壊の

世界住していると解釈される。

あの世とは本来の我々の住する

場所でありこの世は修行の場所

である。

今現在死後地獄行きは半数以上と言われている。

地獄行きの条件とは。

唯物論者

邪教を信ずる者

無宗教で心の汚れている者

無宗教であっても心が透明で

清く正しい者は地獄には行かなかい。

極悪非道な人間は判断を待たずに

地獄へ直行する。

天国へ帰れる人は別として問題は

地獄にいった人と浮遊霊がまずい。

この世でも生存エネルギーは必要であり、あの世でも生存エネルギーは必要なのだ。

天国では霊太陽からのエネルギー

供給ができると言われている。

地獄では霊太陽のエネルギーはない。

そこが問題である。

地獄霊達はエネルギー源を地上に生きる人間から抜き取る手段を

とる。これは波長同通の法則により可能なのだそうだ。

不幸感覚や恨み怒りの感情を持てば波長同通の法則により憑依現象ができあがる。

そこで地獄霊は自分の目的を果たしエネルギーをもらって帰る。

しかし、地獄霊達は常に恐怖の中で生き続けなければならない。

地獄にもいろんな場所があると

言われている。

本来地獄とは反省をする場所であるから、浅い地獄では反省が済めば天国へ帰れる。

問題は深い地獄へ引きずり込まれた場合だ。

深い地獄に存在する者達は

もはや人間の姿さえ変わっていると言う、思いがすべての心の世界だからその思いがその姿となる。

霊力も強く抵抗できない状態に置かれ、抜けだせはしないだろう。

〇〇教会とかの元締めの姿は、 大グモらしい。前に問題となった〇〇教会とはアイドル歌手の

桜〇〇子が所属する団体だ。

血の池地獄、色情系での傾向が強い者が行く世界。

今では孤独地獄もあるらし。

独り穴に潜って孤独でいる。

無頼漢地獄、常に命を狙われる

恐怖の世界。

畜生地獄、人間の姿ではなく

動物の姿とな人間の有りがたさを

知る。

灼熱地獄、激熱。

寒冷地獄、強烈な寒さ。

阿鼻叫喚地獄、相当厳しい地獄だ

体を切り刻まれ、死ぬ痛みを感じ

切り刻まれた体はまた元に戻り

また切り刻まれの繰り返しの世界

無間地獄、何も無い暗闇。

一番思い罪は思想犯だ、

これは、心そのものを変えてしまうから殺人より重い罪となる。

人間の本来の姿は心、だからだ。

無神論、邪教、唯物論は

止めたほうがいい。

この世を去る時、自分が持って帰れるものは心しかない、更に

信仰しか持って帰れないと

言われている。あと自殺は止めたほうがいい。与えられた人生の年数不浄仏霊となり、その年数が終わっても、地獄行きだから

何故地獄行きなのか、それはこの肉体とは仏からの借り物だからだ、仏の意図に反する行為となるから、ただではすまないし、自殺しても霊体は存在し続けるので

自殺に失敗したと思い、何度もその行為を繰り返し、波長同通の

法則に従って同じ波長の者を

自殺に追い込む可能性があるからだ、つまり罪を重ねてしまうからだ。