人生とはいったい何なのか

思うところがある。

何故人生には苦悩が付きまとうのか…

これを説明するものはこの世の成り立ちを

説明できる者にしか説明できないのであるが

この世の成り立ちを説明できる者が説明する

事によれば、これが課題であると言う事で

ある。

全ての出来事が課題でありその課題に対して

どれだけ真の答えに対して回答を出し得たか

それが人生となる。

つまり、愛別離苦の場合、その後の人生を

どう生きたかを問われていると言っても

いいだろう。

この課題にある程度の答えを出さねば

この課題はやり直しとなると言っても

いいだろう。

正解はその状況におかれてもどれだけ光りある人生となし得たかだそうだ。

仏教的にはカルマ、業、とも言うらしい。

その人生において、強烈な印象となった

場合、それが良くも悪くもカルマとなると

言う。

特に殺人などを犯した者はそれは転生においてカルマとなり、カルマとは必ず刈り取りを

せねばならないと言う掟とも言うべき

決め事がこの現在地球での修行の目的で

あるとされている。

様々な苦難困難が人生では繰り広げられているが、どれをとってもその時の選択を迫られていると言われている。

その選択とはそのつど自分の実体をどうするのかと言う事であるが、その実体とは実態

つまり心イコール霊存在、イコール本来の

自分の正体である。


この現実には逃げ場が無い。

それは人間をはじめ生命体に与えられた

定め、宿命であるからだろう。


永遠の転生輪廻で魂の修行をしていると

言われているのだが、ある意味、人生とは

勝負であると言われている。

過去からの修行の総決算が今現在であり

与えられた課題をクリヤー出来るか否か。


真理の世界を知らずに生きた場合、その

無限とも思われる成長の意味を知らずに

生きる事は、即ち、無限とも思われる

苦悩の世界、苦悩の人生を生きねばならない

と言う事だろう。

真理との出会いをした者であっても、

人生とは難しいものである。


殺人を犯した者は、いずれかの転生輪廻の中で、また同じ立場でまた殺人を犯すのか、

また、逆の立場で殺されるかの選択をする

と言われている。


愛別離苦も同じだろう…

もう、二度とこの苦しみは体験したくない。

ならば、少しでも前進しとかないと…


人間やってて、賢者が言うような世界が

事実であるならば、人間である事が

人間でいられる事が幸せであると言うのなら

確かにそうだろと思う。

場合によっては人間でありながら人間ではなくなるとも言われているから、

何故か、それは思いが実体化するからだと言われているからだ。

この世で様々な生き物がいるが、その生き物は、ある意思の象徴であるとされている。


例えば蛇などは恨みや粘着質の象徴だろう。

狐などは、騙しの象徴だろう。


人間、この世を去って、思いの世界に

赴けば、その思いにふさわしい形に変化すると言われている。


そして、人間の有り難さを徹底的に教えられる、と言われている。


まれに、動物に生まれる事もあると言う。

人間の有り難さを知る為に。


でも、これはましなほうだ、チャンスを

与えられているからだ。

霊界の秘密は人間にとって、最大の苦難かも

知れない。

でも、その最大の苦難を乗り越えさせる為に

真の教えが説かれいるのだろう。


だから、人生とは、ひとつの賭けであるとも

言われているのだ。


とにかく、今は愛別離苦を正しく乗り越えなければ、この世だけの視点ではなく、

未来を見通した判断が必要だろう。


いずれ、科学も進歩し、霊界の証明もされるだろ、でも、時は既に遅し…

その時代には地球人は他の惑星に移住しているらしい。

要するに落ちこぼれと言うか、魂の進化が

遅れている存在となり、地球での、

この、厄介な課題に取り組まねばならんのだ。

早く卒業したいものだ。


2021-4-7.

私の人生、後半の心境を語ってみた。