妻が居ないと言う事。

もうすぐ歳が明ける。

妻が亡くなってから初めての歳の暮れ。


一緒に正月のおせち料理の具を

買いにいった。


もう、それは出来ない。

なんという事だろうう。


信じがたい事だ。

毎日、祭壇の前で泣いている俺。

妻の事を、心の中にしっかりと

抱きしめている。


心の中にいつでも、いつまでも

抱きしめていたいんだ。


やはり、生きていく、理由が無い。

生きていく希望が無い。

もう、俺はこの世に未練はない。


いつ、死んでもかまわない。

この世に執着は無い。

俺の執着は宮ちゃんだけだ。


気がつけば、俺の心は、宮ちゃんを除いて、自由そのものになっていた。


この世的しがらみに振り回される

事はない。

ただ本能だけは残っている。

食・性・眠…。


食欲…これは、身体が要求してきて

辛くなるから食べるけれど、

これが食べたいとか、そう言う

欲求は無い。


睡眠欲…これはおさえられない。


性欲…これは完全に、自分の

コントロール下ににあり、振り回されない。


いつ、死んでもかまわないと思っているから、怖いものが無い。


四苦…生・老・病・死の

流れの中で、病は避けられないだろう。

痛みと苦しみは避けられないだろう。

でも、その時は確実に、死に近づいているのだから、受け入れよう。


心は自由になった。

これを小さいけれど、解脱と

言うのだろう。


でも、今は解脱の時に味わう心境

とでも言うべき、心の平静感は

無い。

もし、平静感を感じた時、

それが涅槃の境地となるはず。


小さな解脱、小さな涅槃、

人間の修行はこれをこそ

目的としている。


何人たりとも、これが修行目的

なのだ。

例外は無い。


宮ちゃんに会えない悲しみを

抱きながら、バイクで、あてもなく、走った。


背中のリュックに、小さな遺影を

持って。


独り旅…


筑波山をバックに記念の写真を

撮った。

いつも、どこでも一緒だよ、

宮ちゃん…