全ては学芸会

また、訳の解らん話をするとしよう。

私は、真理と言って現代学問以外の真実と言われている知識を学ぶ者として、ある単純な事実を文字にしてみたいと思う。

それは、この事実と言われている真理を学んでいる時に気づいた事である。

真理とは、結局釈迦の思想が代表的だが、

まぁ、哲学の中心かな、だから小難しい。

そこでだ、要するにだ、結局法則とか定めでこの世は成り立っている、そして、人間生活及びその他の動物、植物、全ての事象は定められた法則の中で生存しているが、その時に生まれたら、即、生老病死の世界と四苦八苦の世界に放り出されると言う訳だ、その結果誰もが感じている生活のしがらみのなかの世の中と言う訳だ。

でも、これは初めから予定されてる事であり

全て予定の想定内の世界と言う訳だ。

初めから決めてあるんだ、そのような世界を生きる事を、そのように創ったから。

ならば、しがらみに負けてしまう事は当たり前であり、最愛の人との別れも結局当たり前の出来事とも言えると思う。この世に生まれて学校の成績が悪いとか、いじめとか、社会人になってパワハラとか左遷とか、ローン地獄とか、対人関係の悩み、親子の葛藤、夫婦の葛藤、さまざまな悩み苦しみがある。

でも、必然的に私達人間はこの定めの中を、法則に縛られて生なきゃならんようになっている…と言われている。

今の人生は、全ての人の今の人生は主人公は自分自身であり、この世は表舞台だと言われている、ただ、演技をしているだけだと、言われている、表舞台がこの世であり幕が降りて楽屋裏に帰ればそこがあの世だと言う。

ならば、なんの苦労があるだろうか、なんの苦しみがあるだろうか、そう、苦しみを演じている、悲しみを演じている…そんなもんだと言われている、ならば、明日があるさ…

希望があるさ…。

舞台の裏に戻れば…会えるんだ。

こんな、誰も、受け入れない話が

真実だとは。だから、時間を耐える勇気を。