それって、過去だよね。
私達は真理…即ち神の理を学ぶ者であるが、
同じ法友から言われた…
「それって、過去だよね」
妻を亡くした悲しみを背負う私にね。
やはり、真理を学んでいても人の心の傷は
分からないんだな。
確かに過去ではあるが…そんなもんじゃないんだよね。
反論するつもりはないが、私の答えは…
「人生とは一生の記憶であると言われています、記憶とは過去であり、その過去の全てがその人の人生であるならば、それがその人の
自身の姿ではありませんか…」
「何故ならば、この世を去ったあの世の世界では、その記憶その過去を見せられてその人が判断されるからです」
まぁ、そんな話しをしました。
さらに、私達の教えによればあの世は当たり前であり、UFO、宇宙人は当たり前であり、
一部の高度に発達した宇宙存在はタイムマシーンもできているとの事、さらに、時間をも
停止できると言う。
過去とは過ぎ去った記憶ではなく私達が通過してきた現実であり、その現実は現実として残っているものと推測されるのです。
タイムマシーンが存在するならば過去は
現実として存在すると推測されます。
私は思う…悲しみと言うものの対象が過去と言う名の現実ならば…
なるほど、いつまで経っても心の悲しみは
消えないはずだと。
何故ならば、今、現実に直面していると
推測されるからだ。
この悲しみが無くなる時、私は人の悲しみを
あまり理解できなくなってしまうのだろう。
件の法友のように…。
悲しみって…これは…他の人の悲しみを理解できる心の力ではないだろうか。
えぐられた心はもう元には戻らない…
それでいい…
人の心の傷が分からない人には
なりたくないのです。
人の心の傷の痛みが分る人でいる為に私は…
悲しみを背負って生きようと思います。
風邪ひき。
便の検査で2種類の虫がいるとのこと。
去勢手術はもう少しあとになるでしょう。
スプレーしなくなるといいね。
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