寿命と卒業

真理からの答えであるから、この世的観点からのものではないのであるが、この愛別離苦又は最愛の人との別れと言うものを現時点で

分析してみると…


悲しいから早く霊界に還りたい…

生きている必要も意味も無いから早くこの世から去りたい。


しかし、何故私は生きているんだろうか?


そこで寿命がくればあの世逝きではあるが

それはいつだろうか?

それはこの肉体が滅ぶ時だろう。

このままでは80とか90とかになってしまいそうだ。


そこで、真理から別の道もあると言われているからそれを語ってみたいと思う。


それは、卒業と言う事だ…。

人生には卒業がある、普通それが寿命なのだが、実は、それは肉体の話しであって、そもそも人間とは霊的存在であるから、思い、想い、想念、意識、精神、総称として心であるとされている。


その心がこの物質世界、いわゆる、この世に

修行の為にほんの数十年の間肉体に宿り

経験を積むと言う目的で本来他人である親と

約束して生まれてくると言われている。

人生計画を立ててくると言われている。

苦難困難はあらかじめ自分で決めてくると言われている。

愛別離苦もそうだろう…

最愛の人との別れは、おそらく、それが早い段階で訪れるのであれば、その後の自分のあり方が合格点に達する為のその人に与えられた時間だと推測される。


その問題に対して合格の範囲内に入れれば

その問題はクリヤーできたと言う事になるだろう、それが50点以上であればの話しだが。


要するに精神世界での卒業を早めれば

この世を卒業できる可能性はあると推測される。

何故か?…それは、霊人はそんなに暇じゃないらしい…

あの世に還ってやる事がたくさんあるようだ。

ならば肉体の寿命はさておき、精神、心を

予定通りにもっていけば卒業できる可能性は

あるのではないだろうか。


巷では長生きする人も大勢いるし、この場合

個人的修行が終わらないでいる事と

寝たきりとか認知症とかだと周りにかなり

負担をかけるが、それは、周りの人達の修行が絡んでいるからだろう。

この場合、周りには申し訳ないが、当事者としては、世話人に感謝することが肝心であり

自分を苛めない事が大切となる。


早いうちの別れはその後の年数は厳しいけれど、その出来事に対する正しい心を創るための時間は永いから、出題に対する時間を

多くもらえたと言っていいと思う。


老人になるとある程度精神も穏やかになるだろう、これはある意味、ありがたい事ではあるんだ、何故か、それは精神が穏やかになると言う事は、天国に還りやすくなるからだと

言われているから。


肉体が生き続けるのであれば、精神的卒業を

成し、この世を卒業すると言う事もあり得る。