妻を飾る色とりどりの花たち

妻の遺影の側には、 色とりどりの

花が飾ってある。


妻に会えない悲しさや。

妻を思い出す苦しみや。

この辛い気持ちを どうしたらいいのか。

今のところ 安定剤を飲んでいるから なんとか なっているんだろう。

でも一番問題なのは 妻と

会えないということ。

妻は思いの世界に入ると言う。

思いは一瞬で通じると言う。

ただ見えないだけ。

ただ触れることができないだけ。

でも妻の方からは見えていると言う。

その言葉を信じよう。

神の造られた、 この 信じがたい世界の構造を 信じよう。


人間及び 生命体は 偶然に できたとは 私は思えない。

簡単なところで考えてみよう。

【なぜ花には色があるのか。】

これに答えられる人は何人いるだろうか。

虫を 引き寄せて 受粉させるために 色があるのか、

何色にするか 花が 決めるのか。

花に目が付いているのか。

花に目がついていないのに なぜ色がわかるのか。

花の香りにしても同じだ。

そもそも 花の種 または 木の種

あんな小さな種の中に、 将来

このような形にしよう。

このような色にしよう。

植物達にそのような考える力があるというのか。

今人間が経験している

物を作るという時に

必ず設計図が必要となる

今まで人間が経験してきたところによれば、 設計図がなければ物はできないはずである。

そこに私は 想像力というものが あるのではないかと 思う。

人間が理解できようとできまいと それに無関係に 想像力と言う ものがあると思う。 人間は 理解ができなければ それは偶然だと言う。

ならば、 家を作る材料を転がしておけば 偶然に 家が建つということになってしまう。

神の御業を 信じない者のは 

家が欲しかったなら 材料を買ってきて転がしておけば良い。

さてそんなことが信じられようか

目には見えないが 神や 仏というものが存在し その想像力でもって 物を作り出すということを 信じるほうが 信じやすいのではないだろうか。

自分の死後 最愛の人に会いたかったら 目に見えない世界を 信じる方を選んだ方がいいと思う。

目に見えない世界など ありはしないと思うのであれば、 残念ながら最愛の人には会えないだろう。 なぜなら、あの世というところは思いの世界であり、 あの世などないという人には、あの世はないのだから、 でも 無いはずの世界で生きることになるのであって 最愛の人も、いないことになるから、会えるはずもないことになるだろう。

そもそも、自分が死んだことさえ

認めないだろう