生きようと決めた時から別の苦しみが始まった。

妻が亡くなってから約半年。

生きる気力が無い生き方とは、

何がどうなろうとも構わない。

死にたいんだから、自分の身体の

事など考えず、死ねる事を

望みながら生きる。

飯を食べるのは、身体が要求する

から仕方なく食べる。

台所で立ったまま、少しのご飯に

味噌汁、1日2食。

2食目の晩ごはんには、バナナ

一本追加、そして、苦しみから逃れる為に、缶ビール1つ。


そんな生活を半年続けたら57キロあった体重が、50キロになり

身体の痛みと、震え。

ふらついて、家のなかで転倒。

胃が痛いのか、心臓が痛いのか、

胸のあたりが少し違和感に近い

痛みがあった時、これで死ねる、

たまに、不整脈があった時、

これで死ねるかもと、期待してた

時があった。


けれど、生きる理由ができた今、

生きたいと、思うが故に、身体の

少しの違和感や異常を感じと、

死に対する恐怖感さえ感じる

ようになってしまった。


これが、お釈迦様が言っていた、

四苦八苦の教えの、死に対する

感情なのだ。


思えば、死にたかった時、自分の

生命に対して、執着は無かった。


お釈迦様は仏教の開祖。

仏教には三法印と言う教えがあり

つまり、諸行無常、諸法無我、

涅槃寂静と言う教え。


結局これは何を言いたいかと言えば、執着を断てと言う教え。


あぁ私は、自分の生命に執着

し始めてしまった。

物事に執着し始めてしまった。


妻が亡くなってしまった時、

妻に会えない苦しみはあったが、

その他の事には執着は無かった。


妻の事以外では、自分の心は

物事の縛りから解き放たれ、

自由だった。 その自由さこそ

仏教で言うところの、解脱と

言う。

そして、その解脱の時に、感じて

いる、平和な心境こそが、

涅槃の境地と、言うものだ。


かくして、私は、妻を亡くして

苦しみ。


生きる希望ができた時、物事に執着し始めて、苦しむ事となった。


お釈迦様は、こう言った。

人生とは、苦なりと。