哀しい線香花火

あれからテレビは観ていない。


笑ったのは一回。

約8ヶ月の間に笑ったのは一回。

それも、「フッ」それだけ。


自分が何の為に生きているのか

分からない。


涙は流れる。

俺の人生ってなんだろう。


生きている価値がない。


祭壇に飾ってある花でさえ

観る者を癒す価値がある。


俺は存在する価値がない…

そう思う…。


妻が亡くなって後の夏

孫達が花火をしていた。


参加する気力もなかった。


思い出す…。線香花火…

線香花火は、まるで

人の人生を

表現しているかのように…。


始まりの時、炎の中から

丸い玉が生まれる。


その玉が成長して、そのうち

少しずつ火花を咲かせはじめる。


そして、激しく火花を咲かせ

少しずつ弱っていく。


そして、そのうち火花は

少なくなり、最後は

糸屑のような、すじ状の

火花となり、線香花火の

命は尽きる。


生きもの達の一生を観ている

ようだ。


命を全うした線香花火はいい。


けれども、中には

炎から生まれ、すぐに

落ちてしまうものあり。


火花を咲かせ初めてすぐ

落ちるものあり。


激しく火花を咲かせた時に

落ちるものあり。


激しい火花を咲かせ終わり

ゆっくりと、穏やかに、火花を

咲かせようとする時に

落ちるものあり。


まるで人の一生を感じさせる

線香花火。


我が妻は青春を生き、人生の

苦難を乗り越えて、


晩年の人生を穏やかに

生きるはずだった。


人生に、精一杯花を咲かせ

これからは無理をせず


ささやかな、花を咲かせて

いくはずだつた。


でも、そんな矢先に、

花は散ってしまった。


線香花火のように…。


線香花火は、さまざまな人生を

感じさせるものだ。