最愛の人を亡くすと言う事。

何で同じ内容のものがでてるのかな。

初盆。

管理者のミスなのかなんなのか。

確かに別の〇〇さんにコメントしたら、管理者がいる事が分かったのだが。あとAI管理で不適切な言葉を管理しているらしく、

注意をうけた。

申し訳ありませんでしたと、

コメントしたが再度注意された。

内容の変更をしてほしいとの事で

変更のやり方を教えてくれた。

変更できるなんて知りませんでした。

どうやら死と言う文字または

それを連想させるような文字が

AIにひっかかるらしい。

この死別ブログでは問題ないようですね。

嫌がらせや、相手の人格を否定し

たりして亡くなった人がいたから

でしょう。

人格否定は酷いですよね。

私の妹も人格否定されこの世を

去りました。

それと、私の初盆の文字使いが

酷いですね。あらためて見ると

誤字が多いです。

これは、睡眠導入剤を飲んでからコメントしてるので、気づかないのです。目が回っていて。

タイトルの内容に移ります。

やはり、最愛の人を亡くす苦しみは、最愛の人を亡くした人にしか分からないものですよね。

私が属する教団でも、職員さんが

いますが、これは仏教でいうところの出家僧です。

お坊さんですね。しかもプロの。

教えの中に

愛の教え。

同苦同悲の教えなどがありますが

私達最愛の人を亡くした人の

気持ちは分からない。

これは、言わば熱湯に手を入れたらどう感じるか分かりますかと

例えばプロの宗教者、僧侶に尋ねた場合、そりや、熱さを通り越して相当な苦しみでしょうと答えるでしょう。

では、その苦しみ分かりますかと

尋ねたらなんと答えるでしょうか。

お気持ち察しますとかいうのでしょうか。

察せるはずがないんですよね。

同じ立場に立たないと分からない。

ある職員さんに聞きました。

私が妻を亡くして間もない頃。

その職員さんも、奥さんが

亡くなりかけた経験をその当時

していたのです。

なんとか命は助かったのだと。

でも、余談を許さない状態だとか。

そのプロの僧侶に聞きました。

もし、奥さんが亡くなられたらと。

その職員さんうつむいて

しまいました。

小さな声で、「私は信仰をとるしかない」

確かに信仰をとる事は信仰者としては正しい姿勢ですよ。

でも、正常でいられるはずが

ない。

正常でいられなければ職員を

止めるしかないだろう。

還俗と言いますが、プロから

一般信者になる事です。

その職員さんは私の気持ちを

痛いほど分かっていたとおもいます。

奥さんがいつ亡くなるか分からない状況だったから。

同じ境遇の人の励ましほど

見に染みてありがたい事ですよね。

そんな経験をしていない人の

励ましなど、ただ耳に入ってくる

音にしかすぎません。

私は今、なんだかんだと自分で

自分を支えていますが、

結局なんの意味もない。

何で自分は生きてるんだと…

自分に問いかける日々を

おくってます。

趣味に生きるとか。

信仰に生きるとか。

神や仏の為に生きるとか。

言ってますけど、

実際はそうではないのです。

仕方がないからやってる

だけなのです。

いつまで続くんだろう。

早く終わりにしたい。


宇都宮まで妻の愛念供養をしに行った帰り休憩してます。

このあとコンビニに寄った時

豪雨にあいました。

コンビニで雨宿り。しかし

スマホで雨雲を調べたら

私の帰路に豪雨の雨雲が。

その雨雲がこのコンビニを通過する時間は夜の9時頃とか。

あと2時間待つか、考えたが

待ってられない。

カッパを着て出発。

前が見えない。

ヘルメットのシールドには

ワイパーはない。

シールドを開ければ

水しぶき。

とにかく前が見えない。

後ろに車が追い付いたら

私はウインカーを左に出し

停車、その繰り返しで

やっと家にたどり着く。

予報では雨は降らない事になっていたのに。

でも、夏場は夕方など雷雨が

多いですよね。