人生とは勝負だと言われている。
おそらく、最愛の人を失った者は、日々
重苦しい感覚や思いの中に居るのだろう。
いったい、自分は何と闘っているのかも分からなくなるのだろう…
ただただ、目の前にいてほしい人が居な日々そのものが、重くのし掛かり、全てが自分の不幸に繋がってしまうような…
出口の無い迷路に迷い混んだような…
何をやっても意味がなく感じて…
幸せとは無関係になってしまったような…
こんな人達はいったいこの日本に何人いるの
だろうか…
伴侶を失う事の辛さの中にいる人は、結婚した者達の約1/3なのだろう。
後の2/3の半分は離婚すると言う統計がある。
残りの1/3の人達にとって伴侶は最愛の人ではないのだろうか。
だとしても、自分の周りには…いや自分が
知ってる人達は愛別離苦の苦しみの中にいる人など居ないように見えるのだが…
でも、買い物などに行くとお爺さんが食材などを買ってる…きっとこの人は最初から独り者か奥さんに先に逝かれたのだなと思うが。
見ず知らずの人にはそんなふうに、最愛の人に先立たれたような人も居るだろうが自分の周りには居ないから…自分だけが取り残されて幸せを取り去られた人間になってしまったような気になる。
毎日毎日の生活のなかで、1日の全てが
物事の全てが自分を押さえ込んでいるみたいで、自分はその全てと闘っているような
気がしていた…
やる事成すことが…結局自分にとっての敵のように見えていた…
これじや敵が多すぎるの
ではないか?
そう思うと太刀打ちできない雰囲気になるが
よく考えてみるならば、問題はただ一点に
ある事に気づいたのだが、それは宮ちゃんが
居ないと言う一点である。
私は一対多の闘いをしているのではなく
1対1の闘いをしているいるはずだ。
日々全体と闘っていると思えば…
戦意喪失だが、一点と闘っていると思えば
なんとかゴールまでいけそうだ。
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