幸・不幸は自分で決めるもの。

自分はいったい、幸福になりたい

のか、不幸になりたいのか。

妻が亡くなって、不幸感覚で

いっぱいだ。

当たり前だ。

でも、苦しみは、少しずつ

小さくなっている。

でも、人から元気になったなって

言う言葉は、聞きたくない。

最愛の人に亡くなられて辛いだろうなと、思っていてもらいたい。

実際、辛いから。

でも、これって、自己憐憫

じゃないのか。

自己憐憫、自分は可哀想なんだと

自分で自分を思っているんだ。

自己憐憫して、幸せになった人

など、1人もいやしないんだ。

自分の幸・不幸は自分で決める。

自分で不幸を愛してるんだ。

幸福になりたいなら、不幸感覚

から抜け出せばいい。

イエスは言った。

持てる者は与えられ、

持たざる者は、更に奪われるであろう。

これは、神の愛の光りの事だ。

神の光りの性質には、こう書かれ

ている。

神の光りは、親和性のあるもの

にたいしては、増幅し、

排他的なものは避けてとおる。…

とある。

つまり、幸福感覚のある人には

神の光りが与えられ、

不幸感覚の人には、残念ながら

神の光りはとどかない。

心のコントロールは、難しい。