死別ブログに 卒業式はないのか

最近ちょっと あれっと思うことがあるんですけど。

私が死別ブログに 出会ったのは 強烈な 苦しみから 逃れるために たどり着いたのが 死別ブログだった。

今は最初の頃のように 強烈な 苦しみは 皆様のおかげで かなり 苦しみからは 遠ざかっているように 思うのです。

朝、目を覚ます たびに、 宮ちゃんは、 と思い 、あーそうか、 そうだったな 、いないんだったな。

あぁまた 宮ちゃんが いない1日が始まるのか、 そう思い 重苦しい一日が始まる。

でも、 随分と楽になりました 、私のこの 、嘆きを 聞いてくださる方が いたからこそ 、私の心は 救われたのです 。

ありがとうございました。

このように 時間とともに 救われて行く それこそが 死別ブログの 目的ではないだろうか。

見ず知らずの 他人同士が その 言葉によって 、助け合っている 場所が 死別ブログではないだろうか。

死別 ブログ に 参加して 5ヶ月 ですので よく分かりませんが、 この

ブログから卒業した方は いるのでしょうか。

先輩方が 卒業 できないのであれば

私も卒業できないということに なるのでしょうか。

卒業できないということになれば

苦しみをずっと 背負いながら 生きていかなければ ならないということに なるのでしょうか。

先輩方は 是非 卒業して頂きたく思います。

自分の、幸、不幸は 自分で決めるというのが 原則であります。

自分が幸せになりたかったら 自分でそれを決める。

自分が不幸であり続けたいのならば それも自分で決める。

自分を 客観的に見て ください。

客観的に見て 自分が不幸であるのならば その 不幸である自分を 幸せにしてやってください。

自分を勇気付けてやってください。

自分を励ましてやってください。

前にも言いましたが 真の意味で自分を愛するということは そういうことなのです。

人を愛することのできる 人間に なりたいとは思いませんか。

人を愛することができる人間は 自分をも愛すことができるのです。

苦しんでいる自分を 自分自身が 救うこと これが自分に対する 愛ではないでしょうか。

愛というものは 与えるものです 。自分に愛を与えましょう 。自分を楽にしてやりましょう。 それができる人は、 他の人にも、その愛を与えることができます。 自分を苦しみの中に置き続ける人は 、他の人を救うことはできないのです。

うーん、 途中から守護霊様が入ってきたみたいです。

まぁ守護霊様が言いたいことは 、先輩達は、早く卒業して、後輩たちに希望を持たせてやりなさいということでしょう。