先祖供養とお盆
お盆には先祖供養…であるが…
その実態は。
年に一度だけ許される里帰り。
まるで、刑務所から許されて一般人の生活の場に戻り、束の間の時間を過ごす、ような状態ではあるが、その実態は…その通りである。
その意味合いは、子孫の生活を見て、己の間違いを知る。
したがって、子孫が正しい生き方をしていないならば、ご先祖様の供養にはならない。
先祖供養とは子孫が、迷える先祖の魂に対して、仏に、どうぞご先祖様を救いたまえと、
依頼する行為の事を言う。
この場合、迷える霊を救いうる光りとも言うべきものを手向ける行為となる。
先祖に対する思いが祈りによって届けられ、
その思いは迷える霊を救う力となりうる。
だから先祖供養には意味がある。
迷える霊は祈りを欲するものである、おそらく、それ以外の救いの道がみつからないのだろう。
しかし天国に還った霊は全く違った環境にいる、実はお盆や先祖供養など必要とはしない。
天国は自由な世界であり、思えばそれが行動であり思うと言う行為が存在である為、この世に来たければ思った瞬間に霊体は移動すると言う。
だから、お盆が終わってしまって、「あぁ帰ってしまうのか」と心配する必要はない。
天国霊は帰るのではなく移動するだけだから。
ここで思うには、お盆の作法と言うか儀式と
言うか、通常の行為を、どのような思いで行っているのか、それが気になるところではある。
供物をあげて、線香を焚いてチ~ン。
それでいいのかどうかだ。
実際に来ている者達に対して、ただ、見えないだけであるが霊存在達は一部始終見ていると推測されるからである。
結局信仰心、信ずる力でその結果は変わるものだ。
いずれ、自分も供養される側になる。
その時、一生懸命やってくれている事を見たなら、嬉しいじゃないか。
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