詩…もどき。

【川の行く意は命の流れ…

舵取りだけをすればよい…

ああ…変わらぬ景色に夜空を見上げ…

漕ぐに漕がれぬ櫓のおもさよ】


人生の命の時間はあの川のように流れているもの、日々楽しく家族や伴侶と一緒に今、人生を生きる人は、ただその川の流れに、舵取りだけしていればいいと言う。

しかし、ある意味で苦しみを背負った人の

人生の川の流れは止まってしまっていると言う。

だからそこからの景色は、止まっていると言う。

なす術もなく夜空を見上げると言う。

川の流れ…即ち命の時間、生きていく目標や

意味、自分がこの世を去るまでの方向に対して自力で進まねばならない、前に進もうとして、櫓を漕ぐのだがなかなか進まない、

川の流れにまかせて進める人達がいる。

自力で進まねばならない人もいる。


食べ物に執着はなかったはずなのだが…

私は、食べ物にそんなに、こだわらなかった、それは、こだわらなくても妻がその時々にいろいろな食べ物を、用意してくれたからだと今…分かった。

私は着るものにこだわらなかった、それは、

こだわらなくても妻がその時々に私の下着から上着まで、用意してくれたからだと今頃になってうすうす気がついた。

私は、思う、私の身の回りを管理していてくれた人がいるから、私は普通に居られたのだと。

私は不器用なんだと、今さら…気づいた。

小手先は器用だが生活や身の回りは

不器用のようだ。

だからなのか、朝飯は蕎麦。

昼飯は無し、晩飯は…最近は…

最近のおかず、梅干しと塩辛とふりかけ…

味噌汁はあったほうがいいが、面倒だ。

インスタントは旨くない。

でも、味噌とダシとカットワカメで…


この時期、サンマかな、違うか…

よく分からないけどサンマ食いたい。

そういえば、この前皆さんはサンマ食ってたな…

これから、寒くなると、おでんだったな。

これからは、外食で妻がいた頃の食べ物を

食べる…のか…

みんな、宮ちゃんがやってくれていたんだ…

私は、特に食べ物と着るものが苦手だ…

まぁ、いいか…仕方がないし…

…あ~俺は飯の支度が…面倒だから

明日も蕎麦でいくしかねーし…

晩飯は梅干しと塩辛かよ、…でも

面白いことに、おかずは梅干しと塩辛しか

ないのに、晩飯の時間になると、さて、

晩飯のおかず、なんにしようかと、

考えるんだ…そして、あ~梅干しと塩辛だよなって、たしかに、レトルトとか買ってあるが

なんだか、旨くねーんだよな。

手作りの味が懐かしい。

晩飯のおかず、なんにしようか…

あ~梅干しと塩辛だったな…

笑いだよ…大笑いだ!

何なんだ!不器用な男ってやつは!

まぁ、いいか…

私…不器用ですから…。



全ては学芸会

また、訳の解らん話をするとしよう。

私は、真理と言って現代学問以外の真実と言われている知識を学ぶ者として、ある単純な事実を文字にしてみたいと思う。

それは、この事実と言われている真理を学んでいる時に気づいた事である。

真理とは、結局釈迦の思想が代表的だが、

まぁ、哲学の中心かな、だから小難しい。

そこでだ、要するにだ、結局法則とか定めでこの世は成り立っている、そして、人間生活及びその他の動物、植物、全ての事象は定められた法則の中で生存しているが、その時に生まれたら、即、生老病死の世界と四苦八苦の世界に放り出されると言う訳だ、その結果誰もが感じている生活のしがらみのなかの世の中と言う訳だ。

でも、これは初めから予定されてる事であり

全て予定の想定内の世界と言う訳だ。

初めから決めてあるんだ、そのような世界を生きる事を、そのように創ったから。

ならば、しがらみに負けてしまう事は当たり前であり、最愛の人との別れも結局当たり前の出来事とも言えると思う。この世に生まれて学校の成績が悪いとか、いじめとか、社会人になってパワハラとか左遷とか、ローン地獄とか、対人関係の悩み、親子の葛藤、夫婦の葛藤、さまざまな悩み苦しみがある。

でも、必然的に私達人間はこの定めの中を、法則に縛られて生なきゃならんようになっている…と言われている。

今の人生は、全ての人の今の人生は主人公は自分自身であり、この世は表舞台だと言われている、ただ、演技をしているだけだと、言われている、表舞台がこの世であり幕が降りて楽屋裏に帰ればそこがあの世だと言う。

ならば、なんの苦労があるだろうか、なんの苦しみがあるだろうか、そう、苦しみを演じている、悲しみを演じている…そんなもんだと言われている、ならば、明日があるさ…

希望があるさ…。

舞台の裏に戻れば…会えるんだ。

こんな、誰も、受け入れない話が

真実だとは。だから、時間を耐える勇気を。